うつ・双極性障害と診断された薬剤師まめたろう。

うつ病・双極性障害と診断された薬剤師まめたろうの日常、闘病歴、現在進行形を書いています。

今日も自宅警備員。

こんにちは、まめたろうです。

 

今日はお盆明け初日の勤務日だったのですが朝から気分が悪く、結局欠勤しました。

私はどうしても朝起きてから気分が悪くなるのです、昨晩は睡眠時間は十分にとれたのですが、病気のせいでしょうか・・・

「働けない」から「働きたくない」という感情の変化になっていると自分は感じています、他者と話したくない・触れ合いたくないという薬剤師としてはダメな自分になりつつあります。

 

前置きはこのぐらいで。

 

毎日死にたいと思っていた自分が起こした事。

うつ病と診断されてから毎日ベットで横になって過ごしていました、何か月も。

会社には行けない、外には出れない。

そこで自分は考えました、今の貯蓄がなくなれば働かざるを得なくなるのではと。

それからは毎日10万円を持って朝からパチンコに行きました、勝つ・負けるなどは考えずとりあえず10万円がなくなるまでやります。

たまに勝ちましたがそれは次回への軍資金、勝ったお金で何かをすることはありませんでした。

そんな自己を追い詰める生活をすれば自然と働かなくてはという感情が出てくるのではないかと思っていましたが、結果そんなことはありませんでした。

今ではもったいない事をしたなと思っていますが結局、約30万円程パチンコにつぎ込みこれでは解決しないと悟りました。

 

まめたろうの処方変更。

以前記載したセロクエル錠200mgとロヒプノール錠2mgの服用は一旦終わりましたが投薬生活は終わりません。

セロクエルセロクエル錠200mgはそのまま据え置き、別の薬を服用します。

それは当時話題のSSRI機序をもつレクサプロ錠10mgの追加でした。

服用当日は何ともなかったのですが、次の日には強烈な自殺願望が出ていてもたってもいられませんでした、ずっとソワソワしているのです。俗にいうセロトニン症候群です。

Drに相談してその薬剤は即中止となりました、その後もSSRIは服用していません。

セロクエル錠の単剤のみでしばらく過ごす事になりました。

セロクエル錠は私にあったのか特に副作用と呼べるものは出ませんでした。

ですが、相変わらずベットから出れない、死にたいという気分は解決しませんでした。

 

今日は短いですがこのへんで。

今日のまめたろうでした。

まめたろうのお盆休みと暗い話。

おはようございます、まめたろうです。

 

皆さんはどのような夏休み・お盆休みをお過ごしでしょうか?

世間では15日までお休みの方が多いでしょうが私には関係ありません、むしろ苦痛の連続でした。

まめたろうは10日からお盆休みに入りましたが、お盆休み前々日・前日の仕事も休んでしまい今日までずっと自宅でひきこもっていました。

妻・子供は妻の実家に帰り、まめたろうは実家に帰らずひきこもり生活、毎日のささやかな楽しみは甲子園観戦と世界陸上(昨日で終わりました)でした。

 

今日(昨晩)も一睡も出来ず早朝からブログを書いております。

後々説明しようと思ったのですが現在まめたろうが定期服用している薬は6種類(11錠です)

毎食後にレキソタン錠5mg   3錠1回1錠

夕食後にシクレスト舌下錠5mg 2錠1回2錠

就寝前にレンドルミン0.25mg1錠

    リフレックス錠15mg 1錠

    ロヒプノール錠2mg  1錠

    ラミクタール錠100mg3錠1回3錠

頓服薬 デパス錠1mg     1錠

の計11錠(頓服を含めると12錠)を約1年間服用中です。

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病気でない方々が服用すると即寝れますねw

まめたろうは上記薬剤に加えて今日(昨晩)は自己判断でレキソタン錠5mg4錠・デパス錠1mg2錠追加しても一睡も出来ず、さらにアルコールも追加?して(ちなみに眠剤とアルコールの同時服用は止めましょう、やるなら自己責任でお願いします)床に入りましたがダメでした。

眠れません。

お盆期間中はずっとこの状態でした。

 

 

さて、前置きはこれくらいにして前回の続きです。

 

なぜ死にたかったのか?

自己分析ですが、完全に自己否定の頂点になる行い、この世から去りこの苦痛から逃れたい心、死に対する恐怖感が無かった事などを強く考えて死ぬことばかり考えていました。

死ねばもう楽になれる、自分はこの世に未練はない(強いて言えば新劇ヱヴァンゲリオンの続きとハンター×ハンターの最終回が観たい程度)、自分のDNAは子供に残してきた、など他各方面的に死ぬ理由をずっと考えて過ごしていました。

 

 

まめたろうが考えていた自殺方法

服毒自殺。

まめたろうは薬剤師なので楽な服毒自殺を考えていましたが、実は簡単に手に入りかつ苦しみなく死ねる薬ってそうそう手に入らないんです。(すぐに会社にバレます)

有名な眠剤ハルシオン錠・レンドルミン錠・デパス錠の致死量は20万~30万錠と言われ、私も含め一般人にはとても集められる量ではありません。

ちなみに苦痛なく死ねる薬はバルビツール酸系薬剤、比較的手に入るものはイソミタール(成分名アモバルビタール)ですが、薬剤師でもめったにお目にかかりません。

まず、脳の中枢神経に作用し強制的に眠り、その後呼吸が抑制された結果眠っている間に三途の川を渡ります。

ただし、死ぬまでは成人で約60~80g必要で(個人差がかなりあります)、1回の受診で受け取る量は1gも満たない量なので相当根気がいります。

(決して自殺を助長する内容ではありません、冗談で受け取って下さい)

 

次に凍死。

ロヒプノール錠・ドラール錠・ダルメートカプセルなどの中~長時間タイプの睡眠薬を大量に服用し、アルコール(ウォッカ、ウィスキー・スピリタスなどの高アルコール飲料)と同時摂取した後、裸で真冬に外やスキー場で眠れば死ねます。

ある文献によるとほぼ苦痛は無く、遺体も綺麗な状態で残る様です。

(決して自殺を助長する内容ではありません、冗談で受け取って下さい)

 

最後に首吊り。

これは私が体験しました、今でもロープの跡が首筋に少し残っています。

私の場合は一気に飛び降りてサヨナラではなく、徐々に体重をかけて頸動脈を締めていく方法をとりましたがこれはオススメできません、三途の川を全力で渡りきる位の気合いが必要です。

現在、日本国の死刑制度では一気タイプが主流ですが、それは一瞬の衝撃による首の頸動脈圧迫の脳貧血によるほぼ即死に似た様なものです。

私がとった徐々(ジョジョ?)タイプはどうしても自己防衛反応が働き、手や足を着いてしまいました、また2度妻と母に見つかり止められた事もありました。

もし、アパートやマンションにお住いの方はのちのちの処理が非常に大変なので国立公園などで行うのが良いでしょう。

(決して自殺を助長する内容ではありません、冗談で受け取って下さい)

 

 

自殺(自死)ってダメなこと?

約1年半休職している間によく考えた事です。

よく親より先に逝くなんて・・・、なんて言葉を聞きますがその苦しみって本人にしかわかんないんですよね?

どうやって逃げればいいかわかりませんよね?

だって誰も教えてくれない事だから、答えはわかりません。

答えがあるなら「自殺は絶対ダメ」なんて言葉じゃなくて教えて欲しい、安易な言葉を使わないで。

私は今もわからないまま毎日を過ごしてます。

 

偏見の目。

私は大学でうつ病の患者さんには「頑張れ」とは言うなと教わりました。

当時は意味が分かりませんでしたが当事者になって初めてその意味が分かりました。

病気になってしまった人はみんな既に頑張っている、また頑張りすぎてしまった人なんじゃないかと思いました。

今は頑張って医者・薬局に通っている、自宅から出られない・働きたくても働けない辛い毎日を過ごしたりしているのだと。

 

もうこれ以上頑張れない人が病気になってしまうのではないでしょうか?

 

日本は先進国ですが病気になった人達への偏見の目がまだまだ強いと感じてます。

実際、私は薬剤師の国家資格を持っていますが何社も再就職を断られました。

 

理由は週1回の受診があるならシフトを組めない、11個も薬を飲んでいる人とは働けない、あげくには経営者に「弁護士がうつ病の人は雇わない方が良い」と言っているのでクビにしますと言われた事もあります(弁護士とかマジで関係ねぇ―!アホか!)

 

薬剤師免許があればいいじゃん、と思われる方がいるかもしれませんがそんな事は関係ないです、私も闘病中です。

今月の給料は約3万円の予定です、高校生のバイト代より少ないです。

でも、これが限界なんです。

 

皆さんも今の限界を超えないように過ごして下さい、頑張らなくていいんです。

 

今回は長文・暗い話もあり、まとまりがなく申し訳ありません。

 

今日のまめたろうでした。

今日も仕事に行けなかった…

こんにちは、まめたろうです。

今日は朝から辛くて仕事に行けませんでした、自宅から出ようとすると吐き気に襲われとても仕事をする気分にはなれず休みました。

世間ではこれを甘えというのでしょう、ですが本当に身体が拒絶反応を起こすように自宅から出れないのです。

 

さて、前回の続きです。

 

休職中に考えていたこと。

私は結果、1年数ヶ月ほど休職をしました。

ですが、時間が病気を治す・改善する兆しは全くありませんでした。

休職中、私はずっと・毎日同じ事を考えていました、それは自己否定。

今すぐ死にたい、この世から消えたい、自分は誰からも必要とされない人間だ、生きている意味がない、など今までの自分・人生を全否定する事。

周りの人は「今までやってきたんだから大丈夫」「これからも大丈夫」など励ましの声をかけてくれますが、全く心に響きません、完全に自己陶酔の世界です。

 

食欲をはじめ、欲という欲は全てなくなり、夜も寝れずに1週間過ごす様な生活が続きます。

妻は出産直後のため実家へ帰省しており、普段の生活もままならないため母親が仕事を辞め私の看病のために自宅へきてくれましたが当時の私にとってはそれすら重荷でした。

「1人にしてくれ」「1人で死なせてくれ」と。

 

当時、私は精神科を毎日受診していました、Drからは「今死んでも楽しい事は何もない」「焦って治療する事は絶対に成功しない」などとお話しを受けていましたが殆ど私には響いていなかったと思います。

 

毎日、毎日死にたい気分で過ごしていました。

 

今日はこのへんで。

まめたろうでした。

パニックからうつ病へ

こんにちは、まめたろうです。

 

パニックからうつ病

前記事でパニックを起こした私ですが当然自己判断で改善するわけもなく仕事へ行き続けます。

ですが、パニック症状は一向に変化がありませんでした。

 

パニック発症から受診までの間に結婚式、出産を体験しましたが感情の起伏をほぼなく、妻には申し訳ないのですが心から笑った事はありませんでした、その位心が、感情が死んでいた時期です。

 

パニックを起こしてから数か月後、とうとう会社の社長に付き添われながら最寄りの精神科を受診することになります。

そこでくだされた診断でうつ病と診断されました。

 

まさか自分が「うつ」とは当時信じられませんでした。

今まで管理薬剤師を5年近くやり、周囲の医療機関との信頼関係も得ておおよそ薬剤師としての自分はうまくやってきたなと感じている最中の出来事です。

病気の知識としては十分にあったつもりですが「まさか自分が?」という心境

でした。

そして、医師から即入院の必要性があると言われました、ですが近隣の病院はどこも満床で自宅療養を余儀なくされました。

 

当時の処方薬はセロクエル錠200mg 1日4錠、ロヒプノール錠2mg 1日4錠

、もはや自宅でずっと寝ていろという内容の処方です。

私がその処方箋を授受したならば即座に医師に問い合わせをする位の内容でした、薬剤師としてはビビる位の内容です。

 

その後、休職をし自宅療養を続けながら私は1年と数ヶ月間毎日同じ考え・感情に支配されます。

 

今日はここまでです。

今日のまめたろうでした。

おはようございます。

おはようございます。

昨晩は世界陸上を観ていてこんな時間に起床してしまいましたが、普段休日はいつも寝て過ごしています、家族サービスなども出来ていません。

起きてからも憂鬱な気分は続きます、明日の仕事の事やこれからの人生などいつも頭の中をいつもグルグル回っています。

 

私の新卒薬剤師歴。

私は約10年前大学を新卒で卒業し、地方の薬局へ就職しました。

1日平均250枚の処方箋がくる薬局でした

それはもう毎日が必至の生活でした、朝8時には会社に行き帰宅は夜10時過ぎ。

1人暮らしだったため自宅に帰っても誰もいない、そんな日々が約3年続きます。

3年で辞めようと思っていた職場ですが思いもよらない事態が起きます。

 

それは薬局長のパワハラがひどく、新卒入社員が皆3年をめどに職場を辞めていくなかパワハラ薬局長を辞めさせ私が管理薬剤師をやらないかとの話でした。

会社としても人員がどんどん辞めていくのがさすがに限界にきたようで、新卒2年かそこらの私に管理薬剤師を任せたいとの会社の判断でした。

 

その当時、私が入社した時にいた薬剤師はもう誰も残っていませんでした、自分に何が出来るのかわかりませんが私は引き受けました(パワハラから解放された、ヤッター)

その後、当時8人いた薬剤師は4名に減りましたがなんとかやっていきました。

4~5年はずっとその人員で管理薬剤師をやっていたと思います(薬局長とは呼ばれたくない)。

 

パニックを起こす。

管理薬剤師になって5年が過ぎた時にそれは突然やってきました…

パニックです。

ある日、私は職場で急にパニックを起こしました。

特別なにか失敗、患者さんに間違った事をしたわけでもなく原因不明のパニックです。

漠然とした不安、もうダメだという考えが頭から離れなくなり、その日は早退しました。

その後もパニック状態は変化なく、自分は頭がおかしくなったと自分を責める毎日でした。

その後は…また次回

 

まとめ

今回はざっくばらんに私の新卒の薬剤師歴、パニックを起こしたタイミングについて記載しました。

この時点ではまだ医療機関を受診していません、うつ病と診断されるまではまだ先です。

 

今回はこのへんで。

まめたろうでした。

 

 

 

うつ病・双極性障害(躁うつ病)と診断された薬剤師まめたろう

皆さん、初めまして、こんにちは。

ブログ名通り、うつ病双極性障害躁うつ病)と診断された薬剤師まめたろうです。

 

自己紹介

私は30代、所帯持ちの薬剤師です。

今年で重度のうつ病と診断されて5年、双極性障害躁うつ病)と診断され1年が経ちます。

現在も1週間に1回の受診、毎日6種類(11錠)の薬を服用し続けて生活しています。

仕事は満足に出来ず、最近は約2年パートで働いており家計は妻が支えてくれている状態です。

 

ブログを通して皆さんに伝えたいこと

私は薬剤師として薬局で働いています、大学を卒業して10年以上経ちます(現在はパートです)。

ですが私は今、全力で働いても1日4時間が限界です、それ以上は辛くて働けません。

うつ病双極性障害躁うつ病)で苦しんでいる方々や医療従事者で同じ病気で苦しんでいる方々へ私個人・薬剤師としての病気の知識・苦しさ、薬に対する知識や副作用で悩んでいる方々、その日1日を乗り切る力の出し方などを微力ながらこのブログで伝えられたらと思います。

出来る限り私の知る範囲での皆さんの質問を返信したいとも思っています。

また、皆さんの元気になった時、病気が寛解した時、少しでも生活に変化が出た時に私のブログが微力ながら皆さんの励みになれば幸いです。

 

プロでも病気になる

私は薬のプロの薬剤師です。

ですが、上記に記載の病気になりました。

ずっと精神科の薬は作っても、まさか自分がこの薬を飲む事はないだろうと思っていました。

それは大きな間違いでした。患者さんがどんなに辛い気持ちで薬局へ来ているのか当時の私にはわかりませんでした、自分が当事者となって初めてその辛さがわかりました。

 

まとめ

今回は自己紹介+余談で終わります。

のちのち、私の服用してきた薬やその効果・副作用などについて触れていきたいと思います、一応(パートですけど)プロなのでその手の質問にはある程度適格な返信が出来るかと思います。

では、次回まで失礼します。

今日のまめたろうでした。