約9年務めていた会社を退社する
こんにちは、まめたろうです。
今日も朝から気分は上がりません、無関心というかそんな感じです。
会社を退社する
前記事に記載しましたが社長と話し合い、私は会社を退社することになりました。
約9年勤務していたので名残惜しさはありましたがすべては自ら起こした不祥事ですので仕方がありません。
約9年勤務していたということで送別会もひらいてもらいました、ありがたかったです。
この時の病気の状態は良くも悪くもない状態でした、受診ペースも守り受診していました。
その時に服用していた薬はあまりよく覚えていません。
SSRIとジプレキサを中心にベンゾジアゼピン系を服用していたと思います。
その送別会の2次会は行われませんでした、通例なら行われるのですが私の時は違いました、皆私が薬を無断で服用していた事を知っていたようでそそくさと、みな帰って行きました。
その時1人の薬剤師の先輩を2人で2次会に行きました、内容はほぼ説教です、
ただ説教をしてくれる人は1人でもいるのはありがたいです。
みな、無関心であれば私は1人で帰宅することになっていました。
その薬剤師さんはいまでも尊敬しています、言葉1つ1つが私の事を思って話してくれているのがわかりました。
お恥ずかしい話ですが私はその先輩薬剤師の話を聞きながら泣いていました。
それは病気とは関係なくただ、その人は私の事を病気関係なく見ていてくれたのかと嬉しさ半分、情けなさ半分といった感情でした。
まぁ、最後の方はずっと説教でした。
薬剤師だから安易に就職できるわけでない
薬剤師免許をもっていたら就職先には困りません、これは地方ならではの事ですが首都圏ではどうかわかりません。
ですが、わたしは地方の薬剤師ですので正直どこでも再就職できる状態でした。
ですが、就職にあたって待遇というものが薬剤師ではなくとも、つきまわるものだと思っています。
給料が良い、職場環境が良いなどその個人で望むは異なってきます。
私が1番重視しているのは「やりがい」です。
1日8時間だらだら働いている人も見たことがあります、それでいいのか?と。
私の理想は8時半出勤の6時半退社、場合によっては残業する感じです、気が付けばもう自分の昼休みが迫っているという状況です、それ位仕事に没頭したいのです。
先の記事に書きましたが「逆精神と時の部屋」にいたいのです、極端な言い方をすると昼飯は嵐の櫻井クンのようなウィダーインゼリーでいいんです。
でも、なかなかそんな環境はありません、あったとしてもブラック薬局の烙印を押されている薬局ばかりです
私はもともと薬局長のパワハラのひどい薬局をなんとかした経験があるのである程度ブラック薬局には慣れています。
そして私が次に選んだ薬局とは?
今日はこのへんで。
今日のまめたろうでした。
会社を裏切る
こんにちは、まめたろうです。
今日は天気が良いですが、頭と心はどんよりしているまめたろうです。
セカンドオピニオン受診受診して約半年
セカンドオピニオンを受診してから約半年、希死念慮は徐々になくなってきましたが相変わらず「やる気が出ない」「何もしたくない」などの感情は常にありました。
死にたいという気もでない状態だったと思います。
会社にもなんとか足を引きずって何とか出社しておりましたが、職場でも頑張れませんでした。
そんな中でも会社の社長は今の私に出来る仕事だけをまわしてくれ助かりました。
その生活も長くは続きませんでした。
職場の風当たりを強く感じていた私はとんでもない行動にでます。
会社を裏切る
それは会社にあった安定剤を無断で服用するという行動です、薬剤師が1番してはいけない行動です。
ですが、その安定剤を服用すると気分が高揚し、やる気が出るのです。
その高揚した気分の時だけが生を感じていました。
1度で止めるつもりでしたが、1度その高揚感を感じてしますと2、3度繰り返してしまいます、最後の方は毎日服用していました。
薬局には棚卸といって薬剤の在庫合わせという作業があります、そこで私の行為はばれました。
1度は社長と話し合い、病気のため手を出してしまったと説明しました。
ですが、それ以降も人の目を盗んではその薬に手を出してしまいました、もっとも愚かな行為です。
1度ならず数回に渡りその行為を行った結果、会社の社長はみかねて私と一緒にセカンドオピニオンである医療機関に同行し私の行った行為をDrに説明しました。
私としては何も反論はありません。
Drとしてもこの行為は止めさせる様に、Drと患者の守秘義務ということでその場はおさまりました。
再び会社を裏切る
1度社長を含め、その薬剤には手を出さないと決めた私ですが数ヶ月もしないうちにまたその薬剤に手を染めてしまいます。
辛い時、あの薬剤に手を出さないと誓った私ですが、その高揚感によってその日を乗り切れるといる考えでした。
ですが、社長は毎日その薬剤が減ってないかをチェックしていまいた、私の抑止力のためだと思います。
私はある日社長に呼び出されます。
また、あの薬を飲んでいるだろう?と、私は正直に「はい」と答えました。
麻薬、覚せい剤、アルコール依存者と私は変わりなかったと思っています。
私はそこで会社を続けるか、退社するかを迫られました。
会社としては薬を盗んで服用する薬剤師を会社においてはおけないという判断であり、それは当然の判断だと思います。
その後のまめたろうは次回まで。
今日のまめたろうでした。
眠れない
こんばんは、眠剤服用から3時間全く眠れないまめたろうです。
眠りと生活と仕事の関係
まめたろうは最近は比較的寝つきはよかったのですが、寝つきの悪い周期が1~2ヶ月に1度来ます。
その間はずっと朝まで布団に入っている状態です、色々考えてしまい朝を迎えるといった具合です。
生活は昼夜逆転とまではいきませんが朝からダルさが続きます、そして仕事も休んでしまいます。
仮に仕事に行っても全くやる気がでません、眠気がそこで一気に押し寄せてきます。
お恥ずかしいお話ですが患者さんを目の前にして眠った事もあります。
何故眠れないのか
まめたろうは現在、睡眠導入薬を少なくとも3種は服用しています。
ですが、眠れないのです。
何故眠れないのか自己分析してみました。
・過去の自分に戻りたいとずっと考えている。
・現状からの抜け道をずっと考えている。
・自分は病気だからとずっと思いこんでいる。
・周りの友人のみんなが頑張っていてが羨ましい。
と、簡単に書きましたがまだまだ考えこむ時間は多いです、1晩ずっと同じことを考えていることも多いです。
Drに言わせると眠りは重要な事だと言われました、ですが眠れません、薬を使っても眠れません。
今日もダメですがアルコールの力をかりて布団に入りましたが全く眠れないので、今このブログを書いています。
もし、眠りに関してアドバイスを頂けるのであれば是非教えて頂きたいです。
おそらく今日も朝までコースのまめたろうでした。
セカンドオピニオン受診とうつ病発症のきっかけ
こんにちは、まめたろうです。
今回はセカンドオピニオン受診中の出来事と自己分析によるうつ病発症のきっかけを記事にしたいと思います。
セカンドオピニオン受診中
現在は医療機関を変更し、約2年半が経過しました。
その間、さまざまな出来事が起きて現在も苦しい状況は変わっていません。
そのさまざまな出来事は追々記事にするつもりです。
受診初めは正直、何を聞かれて何を話したのかは全く覚えていません。
相当、混乱状態だったと思います。
受診は週1回のペースで、Drとの面会時間は5分、長くて10分といったところだったと思います。
はじめの頃は母や妻に付き添われて受診していました、1人だと外にも出れない状況だったのと、家庭内ではうつ病患者とどう接すればいいのかを相談していました。
私自身も家族とどう接していけばいいのかわかりませんでした。
前記事にも書きましたがとにかく希死念慮が非常に強く出ていた時期でした、なんとか会社に行っても死についての事ばかり考えていました。
また、薬も色々と試し以前の記事に私の服用歴を記載しましたが、あれからSSRI薬のレクサプロも少量から服用しました。
その他、睡眠導入薬ハルシオン、中~長時間型睡眠導入薬ダルメートカプセルなど色々薬が変わりましたが症状としては一向に改善の兆しはありませんでした。
自己啓発本なども読みましたが全く心に響くものはありませんでした。
うつ病になったきっかけ
私の記憶ではうつ病の発症は結婚が決まってから結婚式の準備中に発症しました。
簡単に言えばマリッジブルーのようなものでしょうか。それにしては転落の落差が大き過ぎ、耐えることが出来ませんでした。
結婚式当日は大量の薬を飲み何とかしのいでいました、心では笑っていなかったと思います。
「普通」であれば結婚・出産などは喜ばれる事ですが、私の場合はその重圧に耐えきれず、また「普通」ではなかったためうつ病という病気にかかってしまったのではと今は思います。
うつ病になりやすい人はおおよそ生真面目・几帳面・完璧主義・凝り性・責任感が強い、などと言われています。
私自身、すべての項目にあてはまる性格ではないのですが几帳面・完璧主義なところがあります。うつ病チェック表などでチェックをすると大体あてはまりました。
皆さんも1度うつ病チェック表などでチェックする事をお勧めします。
今日もまとまりのない文章になり、申し訳ありません。
今日のまめたろうでした。
セカンドオピニオン受診
こんにちは、まめたろうです。
今回はセカンドオピニオン受診について記事にしたいと思います。
セカンドオピニオン受診へ
前記事に記載の通り、周りの助言により、かかりつけの医療機関を変えました。
初めは精神科・心療内科など、どこに行っても同じだろうという気持ちで受診しました。
新しい受診先ではまず病気に至った経緯、家族構成、治療歴など詳しく聞かれました、すでに混乱状態の私は何を話したのかはほとんど覚えておりません。
前医療機関の紹介状をもって新しいDrとの診察が始まります、当時の私は希死念慮が非常に強く、その旨を伝えたと記憶しています。
その際、希死念慮がどこからくるのかはハッキリ答えることは出来ませんでした、ただこの世から消えたい、その一心でした。
その時Drはもっと時間をかけて治療に専念するべきだと言ってくれました。
でも、私には金銭面での余裕がほぼ無い状態でしたので、会社に時短勤務をお願いして何とか勤務は続けながらの治療となりました。
また、処方薬も大幅に変更となりました、曖昧な記憶なので正確なのかはわかりませんが、
ロヒプノール錠2mg 1錠 就寝前
セロクエル錠25mg 5錠 就寝前
リフレックス錠30mg 1錠 就寝前
ジプレキサ錠10mg 2錠 就寝前
デパス錠1mg 1錠 不安時
と、上記の様に変更になったと記憶しております。
この薬を服用するにあたって確実に太るなと感じたのは記憶しております。
特に、リフレックス、ジプレキサなどはその代表だと思います、服用後まもなくして食欲が止まらなくなり夜間に冷蔵庫にあるものやお菓子などを大量に食していました。
私は当時身長184cm、80kgだったのが現在は93Kgまで増えました、運動不足もあると思いますが1年弱で10Kg以上体重が増えたのは確実に薬の影響があると思っています。
ですが、この精神状態を改善するためには致し方ないと思っています。
Drに相談にしても同じ返答でした、「薬を減らせば自然と体重は落ちていく」とお話しを受けました。
リフレックスやジプレキサは脳の食欲を司る神経を麻痺させ満腹状態を作らせない機序とセロトニンの変化による体重の減量を抑制するとDrからは言われました。
セカンドオピニオンを受診して良かったとはまだ答えは出ません、ただ希死念慮は消えていきました、多少なりとも処方薬が自分にあったのかと思います。
ただ、私は薬剤師なので多少プラシーボ効果を受けていると思います、この薬でよくなるはずが無いなどと自分で決めつけるクセがあります。
現在もセカンドオピニオンで紹介されたDrを1週間に1回受診しています。
今のところ、よくなる兆しは自分ではありません。
実際、今日も仕事に行けませんでした。
精神科・心療内科のDrとはよく相性の問題と言われます。
今の所、相性は悪くないと思っています。1週間に1回の受診なので顔も名前も覚えてもらっています、仕事に関するアドバイスももらっています。
ここで私がDrから言われたアドバイスを1つ紹介したいと思います。
「仕事に行けない・外出出来ない人はもう1人の自分がそっと背中を押してくれるイメージを持つようにしたら良い」
と、というものでした。
これはまさに自分にあてはまるものでした、このイメージを持つことで仕事にいける日もありました。
皆さんもどうか辛い時には誰かよりはもう1人の自分に背中を押してもらうイメージをもった方が他人の言葉より楽なのではないでしょうか?
今日はこのへんで。
今日のまめたろうでした。
セカンドオピニオンへ
こんにちは、まめたろうです。
今回はセカンドオピニオン受診までを記事にしたいと思います。
セカンドオピニオン受診までの経緯
私は初診時に通院した精神科を約1年半通院しました。
ですが、復調の兆しが全く見えずただ処方された薬を服用し、その日1日を過ごしているという毎日でした。
そのうち傷病手当金の期限が迫ったため職場復帰しましたが、前記事にあります通り100%には程遠いパフォーマンスで仕事をしていました。
職場についても基本的な挨拶程度しかせず、必要最低限の事しか話しませんでした、というより話せませんでした。
それは周りの人達が気を使ってくれているというよりは自分の中で職場の皆がキラキラ輝いているように見えたのです。
病人は自分だけ、皆は楽しそうな毎日を過ごしている、そう自分には見えました、何故自分なのか…と毎日考えていました。
そんな自分をみかねて会社の社長からある提案がありました。
自分の懇意にしている県医師会の理事であり精神科・診療内科に通じているDrがいるのでそちらに移ってみないか?という提案でした。
私は当時受診していたDrには約1年半お世話になってるし、Drとの相性も悪くないと感じていました。
ですが、復調の兆しが全くみえない状況で会社としても動いてくれたのだと思います。
私は色々熟考したうえでセカンドオピニオンの受診を決めました。
先に受診していたDrにもその旨を伝えました、Drからは「そのDrは知っている人だし、合わなかったらいつでも戻っておいで」とありがたいお言葉も頂き、泣きそうになりました。
そして私はセカンドオピニオンを受診することになりました。
今日はこのあたりで。
今日のまめたろうでした。
1週間寝込んだまま
こんにちは、まめたろうです。
タイトル通りまめたろうはこの1週間仕事にも行けずずっと寝込んでいました、と言うよりお盆明けから1度も仕事に行けていません。
毎日の甲子園だけが楽しみの生活を過ごしていました(うつ病ですが高校野球は好きです)
今日は余談は少なく私の闘病の話をしていきたいと思います。
パチンコ解決法から次へ
まめたろうは当時バリバリの管理職として働いておりました。それがある日転落したので会社には相当迷惑をかけてしまったと今でも思います。
約1年半休職したのですがその間の生活費は傷病手当金というものを利用していました。
給与の約6割を非課税でもらえるという制度です。
まめたろうはそれでなんとか家賃を支払い、パチンコも辞め、ほそぼそと病気と付き合っていました。
ですが、自宅から出れる事は変わりありませんでした、外出するのは3日に1回の受診日だけ、それも妻・母に付き添われてなんとか受診しておりました。
受診時にはDrとは毎回当たり障りのない会話で終わっていました、正直これが解決・または病気の寛解に繋がるのかとはと当時疑問に思っていました。
また、当時の私は全てのものに対して無欲だったと思います。
睡眠欲、食欲、物欲、性欲などなにも感じていませんでしてた。
お盆やお正月など地元の友人からの誘いもすべて断って1人殻の中に閉じこもって過ごしていました。
当時服用していた薬は
セロクエル200mg 毎食後・就寝前 1回1錠
ロヒプノール2mg 就寝前 1回1錠
と、初診時に通院した時と変わりはありませんでした。
時に、あまりにも希死念慮が強いときはアーテンの注射をうってもらっていました。
この時点でも自死の気持ちはありました、なにが原因だったのかは今でもわかりません。
パチンコから次へと記載しておりましたがあまり大きな変化はなかったかもしれません。
約1年半休職してわかった事
休職してわかったことは管理職の私がいなくても職場はまわるということです。
休職してから管理職は降りました、降りざるを得ませんでした。
それでまた自己嫌悪に襲われます、自分は職場にいなくても会社はまわると。
自分の存在意義がまた1つそこで失われた気分になりました。
自分には価値はないと、自分の変わりはいくらでもいると。
そう考えるとますます自己嫌悪に陥りました。
職場復帰したのち
約1年半経ち職場に復帰しました。
約1年半も会社に出ないと会社の流れ・空気にまったく着いていけません、極端な言い方をすると病人→白い目・腫れものを触る様な感覚で接してきます、私の精神状態では耐えられないものでした。
最低限の仕事は出来ます、ですが周りの目が気になるのです。
精神病患者にとってこれ以上辛い事はありません。
自分の心のなかで「なんでいまさら帰ってきたのか」「まともに仕事が出来るのか?」など人の心が聞こえるようで苦しかったです
そこで私は懇意にさせて頂いていたDrからセカンドオピニオンを紹介されました。
今日はここまで。
まめたろうでした。