うつ・双極性障害と診断された薬剤師まめたろう。

うつ病・双極性障害と診断された薬剤師まめたろうの日常、闘病歴、現在進行形を書いています。

1週間寝込んだまま

こんにちは、まめたろうです。

 

タイトル通りまめたろうはこの1週間仕事にも行けずずっと寝込んでいました、と言うよりお盆明けから1度も仕事に行けていません。

毎日の甲子園だけが楽しみの生活を過ごしていました(うつ病ですが高校野球は好きです)

今日は余談は少なく私の闘病の話をしていきたいと思います。

 

パチンコ解決法から次へ

まめたろうは当時バリバリの管理職として働いておりました。それがある日転落したので会社には相当迷惑をかけてしまったと今でも思います。

約1年半休職したのですがその間の生活費は傷病手当金というものを利用していました。

給与の約6割を非課税でもらえるという制度です。

まめたろうはそれでなんとか家賃を支払い、パチンコも辞め、ほそぼそと病気と付き合っていました。

ですが、自宅から出れる事は変わりありませんでした、外出するのは3日に1回の受診日だけ、それも妻・母に付き添われてなんとか受診しておりました。

受診時にはDrとは毎回当たり障りのない会話で終わっていました、正直これが解決・または病気の寛解に繋がるのかとはと当時疑問に思っていました。

また、当時の私は全てのものに対して無欲だったと思います。

睡眠欲、食欲、物欲、性欲などなにも感じていませんでしてた。

お盆やお正月など地元の友人からの誘いもすべて断って1人殻の中に閉じこもって過ごしていました。

当時服用していた薬は

セロクエル200mg 毎食後・就寝前 1回1錠

ロヒプノール2mg  就寝前 1回1錠

と、初診時に通院した時と変わりはありませんでした。

時に、あまりにも希死念慮が強いときはアーテンの注射をうってもらっていました。

この時点でも自死の気持ちはありました、なにが原因だったのかは今でもわかりません。

パチンコから次へと記載しておりましたがあまり大きな変化はなかったかもしれません。

 

約1年半休職してわかった事

休職してわかったことは管理職の私がいなくても職場はまわるということです。

休職してから管理職は降りました、降りざるを得ませんでした。

それでまた自己嫌悪に襲われます、自分は職場にいなくても会社はまわると。

自分の存在意義がまた1つそこで失われた気分になりました。

自分には価値はないと、自分の変わりはいくらでもいると。

そう考えるとますます自己嫌悪に陥りました。

 

職場復帰したのち

 

約1年半経ち職場に復帰しました。

約1年半も会社に出ないと会社の流れ・空気にまったく着いていけません、極端な言い方をすると病人→白い目・腫れものを触る様な感覚で接してきます、私の精神状態では耐えられないものでした。

最低限の仕事は出来ます、ですが周りの目が気になるのです。

精神病患者にとってこれ以上辛い事はありません。

自分の心のなかで「なんでいまさら帰ってきたのか」「まともに仕事が出来るのか?」など人の心が聞こえるようで苦しかったです

 

そこで私は懇意にさせて頂いていたDrからセカンドオピニオンを紹介されました。

 

今日はここまで。

まめたろうでした。